column

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こんにちは、矢野です😊

プレゼン=伝え方の練習を始めるに当たって

自分の好きなものをイメージしました。

そこで“もの”ではないけど、

ある“人”が思い浮かんだので、

その人について思い返していました。

思い返してみると私はその人にたくさん色々な“モノ”を貰ってきたなと改めて思いました。

そしてそれに気づいた時

とても自然に

「何か私もしてあげられたらな」という気持ちが芽生えました。

これが本当の循環なのかもと思えました。

私は以前『ペイフォワード』という映画にとても感銘を受け、実践していた時期があります。

内容はざっくり言えば

自分が困っているときに親切にされ助けられたと感じたら

またその相手に返すのではなくて、

また誰か困ってる人に手を差しのべる

そうすれば結果的に世界中の人が幸せになる

ということを考え実行した少年のお話です。

その少年と同じ年の頃の自分と想像したときチャランポランだった私には到底思い付かない発想だわ、という衝撃と、

これは確かにそうだな!こうなったらいいな!と希望が湧いた自分。

そして自分もそれを実践し始めてみて、またさらにこの映画を何人かにお勧めしてみたりと行動していました。

でも、

長くは続きませんでした。

今も困ってる方には手を差しのべることはしますが、わざわざその意識ではやってない。

なぜ続かなかったかというと

わざわざ頭で考えて、意図してやっていたから。

考えて、意図してやるって

神経使うから

そう感じてなくてもどこか疲れてくる

無理がくる。

“親切心”って考えて意図してやるもんじゃない。

意図してやってたから無理がきて疲れてしまい

長続きしなかった。

誤解の無いように言いますが、

決して映画の内容の批判をしているわけではありません。私の場合、私はそんな考えでやったから離脱してしまったという失敗した私の話です。

ただ、やっぱりと思ったのは

してもらったことを“当たり前”と思ってると誰にも広げることはないと思ったことです。

“当たり前”って不動なのです。

いつだってそこにあるもの。

そういうもの。

それが当然。

だから、

無いと怒る。当たる。

与えてもらったことを自分で止めてしまう。

ずっとずっとその好きだと思う“人”からはたくさん色々なものを教えてもらったり与えてもらったりしたけれど、

循環

というイメージが出来ていなかった。

その“人”も誰かに与えてもらったことを

私に回してくれてるってイメージが無かったのです。

そうイメージした時

心の底から感謝が込み上げてきました。

「本当に私は自分のことばっかりだな」

「感謝してるって言葉にしてたけど、その“部分”しか見ていなかったんだな」

と自分が恥ずかしくなりました。

以前の私ならここで

「あー自分ってダメだな」と落ち込むのですが、

これからそうしなきゃいいってだけの話

ということがわかったので、

『自分のことばかり考える癖があった』という事実だけを受け取るだけ。

で、次から気を付ければいいというだけの話。

世界というか

地球だけじゃないすべてのものは

循環でできている。

与えられることを

“当たり前”と思ったら

自分で循環を止めてしまう。

今無造作に扱ってる自分の身体も

これまでの戦乱、飢饉、戦争、不況の中

ずっと【子孫繁栄】を願い命を繋いでくれたご先祖様たちが居たから今ここに存在してること。

循環という大きな動きが見えないと

“今無い”ことにしかフォーカスを当てられない。

回ってきたことに

回してもらったことを知ることで

深い感謝が芽生えるんだなと今回改めて気づいたことでした。

最後までありがとうございました。

セラピスト矢野