こんにちは、矢野です。
私は外食でメニュー選びをするとき、めちゃくちゃ時間がかかることが多かったです。
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というか、今でも正直何時間でも見ていられます。
むしろメニューを見ながら、想像の中で全種類イメージしながら食べてるところある😂
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あとはこっちが本命だろうけど、
迷うことが好き
なんだと思う。
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これも香織さんに指摘されたことですが、
「辞めたいとか言って何度も繰り返してることって、実際は自分がしたくてやってること。」
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迷うのって疲れるからさっさと決められるようになりたい、と思っていたところもあったけど、
『あぁ、私じつは“迷いたい”のか???』
と改めて思った時に、それあるかもと思いました。
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子どもの頃、あまり裕福ではなかったことと3人兄妹の末っ子ということ、そして引っ越しが多かったことなどから
自分で選ぶ、という機会が少なかったです。10代になるまでの間がとくに。
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その影響もあって、あるものから選ぶ癖が身に付いたなと最近気がつきました。
なので、目の前には無い違うものを探す癖が圧倒的に身に付いていない。
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そして“あるもの”という選択肢もあってないようなものだった。
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もうここでハングリー精神の分かれ目です。
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自分でなんとしてでも探してやろう。
見つけてやろう。
自分で作ってやろう。
こういった精神は私は磨かず、
でも
周りがなんとかしてくれるし
あるものでもなんとかできる
そんな状況に甘んじてしまったところがあります。
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さらに選び方も
“あるもの”の中から
①周りの空気的に正解なもの
②周りにうまく溶け込めるもの
③少しでも個性と認めてもらえるもの
というぼやっとした選び方を子どもの頃からしていました。
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最初は母が喜ぶようなものの選び方
次に友達や同級生などの視線を気にしたもの
そして少しでも“ダサい”と思われないように選んだもの
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結果的にすべての選び方が“ダサい”ということに落ちるわけですが、ずっとそういうものだと思っていたし、それがいいと思っていた。
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自分がそれでいいと思ってやった結果なのだから、その選択自体に間違いなんかではない。
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けど
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本当に
自分自身がそれで満足していたのか?
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「うーーーん🤔」
やっぱり満足していないし、
楽しくはなかった。
本望ではなかった。
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人や空気を読んだ選び方をしていた子ども時代から
今度は
大人になると
面倒なことや手間を省くようになり
“楽”を選ぶようになりました。
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前回でも触れましたが、
この“楽”は
自分は何もしたくない“楽”であって、
自分がより効率的に成長するための“楽”ではないということ。
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私が今後も
何かを選択するときに気を付けなければならないと思ったことは
・周りを気にした選び方じゃないか?
・自分が心から望む選び方なのか?
・自分が面倒臭いからの選び方じゃないか?
・自分の成長のための選び方になっているのか?
私自身の戒めとして書いてますが、
振り返ってみると引っかかるものがあるかもしれません。
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よかったら何か選ぶときに思い出してもらえたらと思います。
セルフセラピスト
矢野 碧