こんにちは、矢野です。
これはに気付いた時、
個人的に大きな発見すぎて吐きました。
。
私は、
私の周りにいる人を意図的に
満たされていない人
としていた
私が加わってパーフェクトとなる
とか潜在的にクソなこと思っていたことに気付いた瞬間
死にたくなりました。
。
。
「私の好きな人や
周りの人にいつでも手を差し伸べられようになりたい」
とわりと真剣に思っていたのですが、
これって
私の好きな人や周りの人が
いつでも誰か困ってる
っていうことですよね?
。
困ってる人に
私が手を差し伸べて
「あーよかった」
って私が喜ぶ
え、待て待て
まじで気持ち悪い🤢🥶
。
そんなふうに考えたことなくて
世の中、
映画でもアニメでも漫画でも
ノンフィクションでも学校でも
『困っている人に手を差し伸べましょう!』って謳ってるので
「私もそうなるべき!」
ってなんとなく染み込んでいた。
。
。
それがいつの間にやら
「どこかに困った人いないか?」
「人助けして徳を積もう」
「人助けすると気持ちい」
とか“自分の安心”を掴みにいっていました。
。
。
まじで怖い。
これ、前回のコラムの相手をみくびっていたこととも繋がるのですが、
そうやって自分より不幸な人
というようにマウントかけていたんです。
しかも、無意識で。
。
気付いてないって
まじ怖い。
。。。。
私そんなことしてたのかーーー
とこれまでを振り返ってみた時に、ふと違和感を感じました。
お客様へのトリートメント中、私は同じようにマウントしていただろうかと。
。
。
。
。
。
。
答えは否でした。
私がいつも施術中に思っていたことは
人体の仕組みは
いつだってパーフェクトだ
と心底信じて施術をしていた。
。。。。。。。
もうすでに在るパーフェクトな
(お客さまの)人体に
私は手を少し添えるだけ。
添えたあとは身体の機能が
なんとでもしてくれる。
。。。。。。。
身体の仕組みに無駄なものはない。
だから今在る状態でパーフェクト。
不調だと言っても
綻びみたいなもの。
私は少し手を添えるだけで
あとは身体の回復力、
修復力、
治癒力などがやってくれる。
。
こう私は信じてそう思えるのは、
。
解剖学から
人体の仕組みを学んだからです。
学べば学ぶほど知れば知るほど
未知ばかりではあるけど
やはり素晴らしくて
あらゆる可能性満ちている。
。
私が不安に思うような
ちゃっちー作りでない。
。
だから、
私はいつも人体を信じて施術をしてました。
。
そう思っての施術は
とても結果が良い。
お身体もそうだけど、
お客さまの反応も違う。
でも、ところがですよ。
。
。
そうやっていたけど
何か行き詰ったんですよ。
。
技術を学んで
知識も学び
それらも10年以上積み重ね、
お客様のお身体のしくみを信じて
トリートメントする。
。
お客様のリピートには?
というと、
繋がるには繋がる。
身体上には結果出てますから。
技術ではわりといつも評価して頂いてます。
だからリピートにも繋がってる。
だけど、
何か足りない感を感じてしまって。
。
足りないことに意識が向かった瞬間、
“ 不安 ”に飲み込まれるんですよね。
。
あれ?
私なにか足りてない状態なんじゃない?
やばい!
何か足さなきゃ!!
怖い!
出来損ないってばれちゃう!!
お客様離れちゃう!
。
。
みたいに焦りだしていました。
。
。
その何かがわからなくて
その何かを知りたくて
表現アートワークを受けることにしました。
。
その結果
冒頭の気付きに繋がっています。
。
私がワーク受ける前に
ずっとトリートメント中にお客様のお身体に思っていたことを
なんとなんと
自分自身には向けていなかったんです。
びっくりですよ。
考えもしなかった。
。
お客様のお身体は
パーフェクトだ!!
と言ってるわりに、
自分は何か足りない
。
おかしなこと言ってますよね?
これ本当に同じ人間が言ってることなのかってw
。
完全に真逆のこと言ってるww
。
。
要はやっぱり
自分自身に愛情も関心も丁寧さも
向けていなかったということ。
。
心のしくみが~
世の中のしくみが~
っていう知識じゃなくて
《意識のベクトル➡》
これがまず問題なのです。
。
30代以降になれば
だいたい頭も心も硬く鈍くなってると思った方がいいです。
「自分はそんなことない」と思ってる人はとくに。
。
本当にそんなことない方は逆に自覚されてて、常に意識し努力されてる方です。
。
世の中に、
見えてる世界に、
物質に、
ハウツーにの前に
まず
自分自身に《意識のベクトル➡》向けられているか?
。
起業にしろ
新生活にしろ
新しいメニュー作りにしろ
新しい勉強にしろ
なんでも本当の一歩は
まずここからなんだと
改めて今実感しています。
セルフセラピスト
矢野 碧