こんにちは、矢野です。
少し前までは
自分と同じような共感性を感じる人や
自分を慰め優しくしてくれる人を無意識(でも作為的)に探し求め、一緒に居ようとしていました。
ただ、いざ新しい動きをしようとした時に
「すごいね」
「頑張るね」
「十分えらいと思うよ」
という言葉をかけられた時に、とても違和感を感じました。
それまではその言葉によって安心したり気分がよくなったり、それ以上頑張らなくてもいいという都合の良いブレーキとなっていたのだと思います。
でもいざ前に進みたい!挑戦をしよう!とした時に、今までそう望んできたこの言葉に激しい違和感。
私はずっとこんな言葉を欲していたんだなぁと。
そうやって
《頑張らなくてもいい理由》を他人の言葉を利用して言ってもらってたんだなぁと。
自分で褒めるわけでも、労うわけでも、慰めるわけでも、ブレーキかけるわけでもなく。
これを自分でやると
自分の責任だから。
他人に言ってもらったら、その人に言われたことだしと妙な割り切りができるのです。
自分の責任じゃないけど言われちゃったら仕方ないねと。
“今”は過去
“今”は未来への一石
今起きていることは過去私が望み作り上げた動き
今動く選択はこれからの私と世界を作る
今過ごしたい人と
これから一緒に過ごしたい人
この似てるようで違うふたつを思い浮かべてみてください。
少し違うんじゃないかと思います。
でもどっちが良くてどっちかが悪いなんてことはないですよ。
どっちでも自分が選んだことなら大正解。
自分自身のために選ぶことに
ダメなことなんてありませんから。
私は“今”どんな人と一緒に居たい?
セルフセラピスト
矢野 碧