Photoessay

 

草木は、果実がふくらみだすと、花を散らす。

人間は、生活が深まりだすと、飾り気がなくなる。

ともに自然の法則である。

作家 下村湖人

 

 

先日

生きた神様に出会いました。

八百万の神様と言われるように、本当は皆

神様なのですが。

 

私の茶道の先生は

『茶道には、色々な楽しみ方があるから。』と仰っている。

 

先生も始めた頃は

週に一度のスイーツの時間。だと思っていて笑

何も覚える気もなく、ただその時間を楽しんでいたそうだ。

 

だけど

続けていくうちに、

ちゃんと学んで、お稽古したら、

もっとお茶が楽しくなるのではないか?

と、ご自身で気づかれてから

本腰を入れて取り組みだされたそう。

 

そんな最初のお稽古で、

92歳のおばあちゃまがいらっしゃると伺った。

私のスーパーおばあちゃんと、同い年だ。

 

その方は、

もうお点前はされないのだけど(立ったり座ったりするから)

若い方と一緒に学ぶ時間が楽しいそうで、

お茶の時間を楽しみにお越しになっているそうだ。

 

いつかお会いできるといいな。

と思っていたのだけど

意外とすぐに お会いすることが出来た。

 

お顔には、細かいおシワが沢山刻まれている。

 

でも、そのおシワは、

人生に対する不平不満からくるおシワではなく

和顔のおシワ 

笑顔のおシワなのだ。

 

なんだか、ご挨拶をしただけなのに

涙が出てきてしまった。

 

・・・・・

こういうおシワの刻まれ方・・・

誰かに似ているな。。。。

 

 

 

あ。

 

 

川の神様だ。

 

 

歯は、自前のお綺麗な歯。

自前の歯が頑丈な方って、元気に長生きされる傾向が高い。

 

髪の毛は、もちろん薄くなられているのだけど

でも、キチンと切りそろえられていて

ふわっと、きちんとセットされている。

 

きっと、長年通われている

セットも上手い熟年の美容師さんなのだろう。

 

手も、よく使い込まれた美しい皺々の手。

お爪は綺麗に切りそろえられていて、丁寧に洗ってある。

 

お洋服も、ご自身の身体に合うものをお召になっている。

 

おばあちゃまの存在が

無言で私に教えてくれる。

 

このおばあちゃまの(尊敬と敬意を払い、この呼び方を)

時代背景を考えると

女性は今と違って

もっと閉鎖的で

好きなことが出来ない、、

私達からみると、我慢が当たり前の時代だ。

 

戦争もご経験されているだろう。

 

終戦後

一夜にして常識がひっくり返り

高度経済成長に入り

日本がどんどん変わっていくのも

全部見てきた方だろう。

 

それでも、笑顔のおシワがしっかり刻まれている。

 

おばあちゃまの精神性が、全て外見に滲み出ていて

私は

理由のわからない涙を堪えるのが大変だった。

 

美しい。

って、こういうことよね。。。と思いながら。

 

涙の理由を

しばらくぼんやり考えていた。

 

尊い。

 

ある日、このワードが降りてきた。

 

まさに

とても尊いものに触れた時

人間は理由のわからない涙が出るものだ。

 

意識が広がり

優しい気持ちになる。

 

そして、

 

ここに居れることに

出会いに

自然と感謝の気持ちが湧いてくる。

(本当の感謝とは、思うものではなく、湧き出るもの。)

 

そうだそうだ。

 

美の力って、

こうだったよな。

 

茶道は空間もお道具も

全てが研ぎ澄まされていて

緩みがなく、美しい。

 

先生も、いつも髪の毛を綺麗にセットされて

品のいい仕立てられたお着物を御召になっている

 

和菓子も美しくて、本当に美味しい。

 

全てが美しくて、温かい。

 

美しい空間で

美しい人たちと居ると

自分を思い出す。

 

自分の大いなる源と

しっかり繋がる感じがするのだ。

 

そうだそうだ。

だから私は美しいが好きだったんだ。

 

だから私は、

昔から目上の女性に憧れていたんだった。

(目上だからといって、全員が全員美しいわけではないが。)

 

自分の源としっかり繋がり、

色々な記憶が蘇る。

 

私が好きなものは、やはり美しいものだ。

美しくないものは、嫌いなんだ。心を傷つけられそうで。

 

思えば小学生の頃から

皆と仲良くしなさい。

と先生たちに言われるのが、一番嫌いだった私。

 

自分が仲良くする人くらい、

自分で選びたい。

 

それに私は、馴れ馴れしい人

向上心がない人が嫌いだ。

これは今も変わらない。

 

なぜ、こんなにも嫌うのか?

私はとても共鳴力が強い人間だ。

街で泣きながら歩いている人とすれ違うと、

私まで泣いてしまうくらいの共鳴力。

 

環境や一緒に居る人に、知らず知らずに物凄く影響を受けてしまう。

 

それなのに

初見で違和感を持った人でも、

『でも、良いところはるかもしれない』と、

自分の直感を無視して、

空気を乱さにようにして自分に我慢させてしまう。

 

器用に立ち回れる人なら良いが

私のように器用に立ち回れない人間は、あとで体調を壊したり

爆発したりして、結局自分にも周りにも迷惑をかけてします。

 

親は、そんな私の性格を知ってか知らずか

皆と仲良くする必要はない。

そんなことをしてたら、八方美人になるだけだ。

親友は一人居れば十分。

ただし、嫌いな人にでも挨拶はちゃんとしなさい。

 

と、いつも言ってくれていた。

私はこの教えに、とても救われたものだ。

 

付き合う人は選んでいいし

嫌いがわからなくなると、好きもわからなく。

だから

好き嫌いは、あっていい。

 

ただし

自分で選ぶということは

自分で責任を取る。ということ。

自分を信じるということだ。

 

私は、美しいものへの感度が下がるくらいなら

人間としての大きい器なんて要らない。

 

おばあちゃまに出会って、強く心に決めたのでした。

 

人間としての器は、

あとから付いてくるものだと思うしね。

 

 

小夜子さんは

主張もされないし

控えめな方だった。と言われるけど

 

芯がある、

本当の意味でお強い方だったのだと

私は思う。