Column 

今日は趣味の話を延長に、色気について書いてみる。

真島吾朗。
私がドハマリしている架空の人物。

ゲームだからと馬鹿にしているそこのお前っ!!
ここに来いっ!!!
そして龍が如く0を見てみろっ!!!


あの生き様!
この人は、男が惚れる漢の理想が詰め込まれたキャラなんだな、きっと。

そもそも龍が如くは、極道の話であって

※極道の人間は主人公になれない。という鉄の掟がある。

我々一般人には理解できないことも多々ある。というのは大前提で。

極道は元々 仏教用語なんだよね。

 


私がこのシリーズで好きなキャラは共通して


保身に走らない漢。
計算高くなく、拳一つで生きている熱い漢たち。
(顔は別)

 

女のケツなんて、一切追わない。

自分の不足を、女で埋めようとしない。

自分の欲の排泄を、女で処理しようとしない。

 



龍が如くシリーズで
計算高い男どもは、全員最後の最後でヤラれている。



頭だけいい男は、良いところまで行っても
結局最後は、天下なんて取れないんだよな。


カッコよくないから。

 

でもこれは、

男とか女とか、性別は関係ないと思う。

 

 

人間、ごちゃごちゃ能書き垂れても

やっぱり最後は

かっこいいか?かっこよくないか?

美しいか?美しくないか?

という美意識なんだと思っています。私は。

 

それが本能なんだし。



一本気な漢(魂)というものは、
時代など関係なく、性別も超えて
人々を魅了していくよね。


人間が最後に惹かれるのは、その人の生き様だから。

 


その人が 
なにを成し遂げたか?
しか見れない人間は、貧しい人だよ、本当に。

資本主義に冒涜された人間。

 


ちなみに主人公の桐生一馬は完璧すぎて
私には、全然魅力的じゃないんだなぁ・・・。


なんか、欠点がなくて綺麗なんだもん。面白くない。

 

 

人間の色気や魅力って、感性がひらいているのは大前提に

その人の毒とか傷、秘めてる狂気、欠点、陰だと私は思う。

そのわかりやすい例がタモリさん。

タモリさんを、セクシーだという人はとても多い。

 

私は最初、タモリさんの表面的な部分(お料理をする手付きとか、知識の深さとか、そういうもの)から判断していたのだけど

なんか、それだけじゃない気がして

タモリさんの醸し出す色気を探求したことがあるんだけど。。。笑

 

行き着いたのが、狂気。

 

 

タモリさん、、、、、狂気を秘めてない??笑

しかもタモリさんは、

それを自分で気づいている。※ここ、すごく大事!

タモリさんの色気は、そこだと思うんだ。

あの趣味の極め方とかも、ちょっと自閉的で凄いしね。

 

 

多くの人はそういうのを、

いけないもの、だめなものと定義して

直そうとしたり、抑え込んだり、隠そうとしてるでしょう?

 

それって

理想の自分ばかりに執着して、

在るがままの自分を受け入れてない

これはただ単に幼稚、未熟なだけだと私は思う

本来の自分をを抑えすぎる行為が行き過ぎると、

自己表現が歪み、

他人の幸せを喜べなかったり

妬み嫉み嫉妬の感情に駆られたり

 

行き過ぎると

犯罪などにつながるんだと私は思うんだけど。

 

 

 

私は、聖人君子になんて全く魅力を感じないし

なりたいとも思わない。

般若とか、最高にカッコいいのは
女の醜態を、これでもか!!!と表現しているからでしょう??

聖人君子で言うと、上辺の知識の人は

すぐにマザーテレサを出してくる。

肌を全部隠しているのに、マザーテレサには滲み出る色気がある。と私は感じる。

マザーは、偏屈で頑固で有名な人。

本なんか読めばすぐわかることだけど、

ゴッドマザーが、生前のマザーテレサにお会いしたことがあってね、

生写真とか見せて頂いたこともあって(そういうのを自慢する人じゃないよ、念の為。私が勝手に写真を見つけて聴いただけ。)

色々お話を聴かせてもらったのだけど、

マザーテレサは、屈強な女性だな。って私は感じた。

全てを捨てて

キリストだけに人生の全てを捧げて。

それこそ、生き様がカッコいい女性だなって思った。

ちなみに、肉体は嘘をつかない。

肌を露出して、下品に見える人

いやらしく見える人というのは、

心も精神も浅い人間だという証拠。

 

 

露出しても、いやらしく見えない人凛としている人というのは

心身ともに、聡明な人だ。

 

 

 

そういう人は、何を着てても色気が溢れ出てるけどね。

色気を欲しがる人は多いけど

色気・・・・・色の氣と書くように

自分の色々な氣を捉えること。。。

それは

理想の自分に執着した生き方は、ちょっと横においておいて、

あるがままの自分を、

ただ観て

感じてみることから始まると、私は思う。