Column 

 

私にとって映画や小説などといった

人が作り上げた作品は、単なる娯楽ではありません。

 

いい作品というものは、

自分を見せてくれるもの。

芸術やARTは、そのためにあるものだと私は思う。

 


 

『映画 マトリックスは、シャドウの話だよ。』

 

結構前に、そうゴッドマザーに教えてもらっていたのだけど

私はどうも、ハリウッド映画が好きじゃないから観る気がしなかった。

(フォレストガンプは大好き。)

 

シャドウとは
自分の欠点や認めたくない個人の意識として採用されなかった部分。
対人関係において、

「なんとなく苦手」「生理的に受け付けない」

などの否定的感情を伴う場合、
自分自身のシャドウを相手に投影していることが多い。

 

シャドウ・ワークを徹底的にやってきた私に言わせてもらうと

投影していることが多い。

ではなく、100%で投影しているんだけどね。

無意識に。

 

目の前の嫌な人、不快な人、感情が揺すぶられる人は、

自分の内面にあるもの。

だから反応する。

 

残虐な事件や悲惨な事件

理不尽だと感じる政治も全て、自分の内面の投影でしかない。

 

自分の世界は

隅々まで、自分が創っているのだ。

 

ま、もうこういう話を伝えたり書いたり、シェアしたりするのは

私の中では終わったので、

ご興味有る方は、過去記事などをご参照ください。

 

話をマトリックスに戻すと。

 

結局、観たんですけど

あれ、凄いね。

 

とんでもなく深い映画だ。

 

登場人物の名前も

キリスト教や神話に関係する名前だったし

 

私は自分を探求することが ただ好きなので

量子力学とか脳科学、物理学をずっと学んでいたのですが

 

量子力学や、脳科学、物理学など

今まで勉強してきてことが、全部反映されていて

もう面白いくらいに話が全部わかって、

ちょっとトランス状態になった。

 

しかも

私、筋肉がぶつかり合うような戦闘シーンって大嫌いなんだけど

マトリックスって、カンフーがモデルになっている。

 

本来の武術とか柔術といったものは

不自然に身体を鍛えることをしない。

 

ただ鍛えただけの筋肉の肉体ではなく

無駄な肉を削ぎ落としたスリムな肉体での戦闘に、

東洋人として、とても感心したし

カンフーチックな長いコートも

戦闘のときに舞っているようで、とても良かった。

 

これは個人的な意見なのですが

私は、見せるために鍛えたり、ジムに通ったりするのが好きじゃなくなり

ジムの無機質な空間で過ごす時間が、人生において勿体ないと思ったから

ジムももう止めた。

 

生活の動き以外の動きを取り入れて

身体を作ることが、なんか不自然だと気づき

嫌になったのです。

 

ダンサーは踊るために

格闘家は勝つために、、、、そういう筋肉には美しさが宿るが

なんか、、、それ以外で必要以上に身体を鍛えている人の筋肉には

ものすごい承認欲求が宿っている感じを受けるようになった。

リハビリなどは別だけどね。

 

身体は、特別なことをしなくとも

身体の使い方さえ正しくマスターしていれば

日常、、、、生活の中で十分スタイルはたもてるし、

程よい筋肉も保てるものだ。

 

だらしない身体なのは、日常の動きが美しくない。

ただそれだけのこと。

 

日常が美しければ、身体も美しいままなのだ。

 

で、観終わったあとに

この映画のことを色々と調べたら

日本のアニメやカンフーに多大な影響を受けて作られた映画だった

ということがわかり、

やっぱり日本のアニメ文化って芸術の域なんだなぁ。。。。と感動した。

 

マトリックスって

確か私が中学か、高校時代に流行った映画。

 

皆で真似してたもんなぁ、

キアヌ・リーブスのあのブリッジの動き。

 

これは予言映画だね。

きっとチャネリングで書いたものなのだろう。

だから集合意識レベルに響き、大ヒットしたのだろう。

 

そしてキアヌ・リーブス。

私、そこまで興味はなかったのだけど

この映画を観て気付いたのは

あの人は、物凄く霊性が高い魂の方だね。

物凄くピュアな感じを受けて、何か好きになりました(^o^)

 

シャドウや仮想現実などを学んでいる人は

マトリックスを、もう一度見直してみると良いかも。

 

とんでもない発見と面白さがあるから!!

 

私は、モーフィアスの

『速く動こうと考えるな。速いと知れ。』

というセリフで、覚醒した。

 

これ、真意だよね。

 

美しくなろうとするな。美しいと知れ。

豊かになろうとするな。豊かだと知れ。

 

私達は全てを内在しているのだから、

なろうとしなくていい。

何にでもなれるのだから。

 

シャドウの探求は、本当に面白い。

 

やっぱり、タモリさんが言うように

知識は大人のおもちゃね。

知識があれば有るほど、この世での遊びは増える。

 

 

 

 


今日の真島の兄さん尻ーズは、趣向を変えてサブストーリーから!

ヤクザイル
ってコメント欄に書いている人がいて、本当天才だなって思った
😂
細かいところまで作り込む龍が如く制作チームは国宝だよ!本当に。

 

 

きっと後ろで踊る組員の皆さん、、、振り付け間違えたりすると

ボッコボコにされるのでしょうね・・・・・。笑

 

で、春分の日まで時間がないので

以下は、自分と向き合っている人に向けて、

私なりの内観の仕方を書いたので、

自分だったら・・・・と置き換えて参考になる部分は、参考にしてください。

冒頭にも書きましたが

私にとって、人が作り上げた作品は、

単なる娯楽ではありません。

 

いい作品というものは、

自分を見せてくれるもの。

芸術やARTは、そのためにあるものだと私は思っている。

 

龍が如くも例外なくソレ。

 

真島吾郎というキャラは、

元々は生真面目な性分で、憂いを帯びた性格。

 

だけど、自分の生き方に執着する。と

自分から狂いにいった人で、意図的に狂人を演じているのです。

多分 この部分↑が、私の中の何かに、物っっ凄く響いたのだと思う。

(現に他の登場人物には、全く感情移入しないのよ。)

 

あと 容姿がどストライクなのもある!

 

こんなに真島吾朗というキャラにハマっている私ですが、

シリーズ4以降は、狂人キャラは封印され

元々の憂いを帯びたキャラに戻ります。

 

私はそういう真島吾朗には感情移入しないし、

物語もどんどんシリアスになって

私には観ていてしんどくなってくるので、シリーズ4以降は観ないのです。

(矢沢あいさんの NANA みたいな感じ。

娯楽で楽しめる人は良いのだけど、私みたいに共鳴力が高い人間は、

どんどんシリアスになっていくと、きつくなる。)

 

龍が如く0に関しては、

本当に名作で

ラストが最強にカッコよすぎて、それが逆に切なく、

私には、しんどかったのです。

 

そのシーンを観ると

何故か自分の中で言葉で定義できない感情が渦巻き

ラストだけいつも観れませんでした。

 

しかし

ここ最近で、やっと観れるようになりました。

 

 

きっと、言葉で定義できない感情とは

インナーチャイルド(残留思考、トラウマなど呼び方は人それぞれ)が

そのシーンをきっかけに呼び起こされて起きたこと。

 

感情が揺さぶられず、

観れるようになったということは

その感情が、昇華(解放)されたのだと思います。

 

その感情が、何だったのかはわからないし

頭で考えて、決めつけるのはとても無粋で無意味なこと。

 

ただ、感じればいい。

 

自分の感情を見て見ぬ振りしない。

感じたフリをしない。

思考でラベルを貼って、片付けない。

 

どうにかしようとせず、

ジャッジせず

ただただ、その感情の存在をOKにする。

受け入れがたい感情にも、居場所をきちんと与える。

 

これも、統合にはとても大切なプロセスです。

 

陰極まって陽となる。

 

光だけ追ってても

闇が深くなるだけ。

 

私はここ一年は、陰を極めてきたから

最近はもう、エネルギーが軽くなってきて

楽しくてしかたがないです♫