Column 

草木は、果実がふくらみだすと、花を散らす。

人間は、生活が深まりだすと、飾り気がなくなる。

ともに自然の法則である。

作家 下村湖人

先日

生きた神様に出会いました。

八百万の神様と言われるように、本当は皆

神様なんだけどね。

 

 

 

私の茶道の先生は

『茶道には、色々な楽しみ方があるから。』と仰っている。

 

 

先生も、始めた頃は

週に一度のスイーツの時間。だと思っていて笑

何も覚える気もなく、ただその時間を楽しんでいたそうだ。

(やはり先生くらいの年代の方で、ある程度裕福なご家庭は

花嫁修業として、茶道華道はたしなんでおくのが常識の時代。)

 

だけど

続けていくうちに、

ちゃんと学んで、お稽古したら、

もっとお茶が楽しくなるのではないか?

と、ご自身で気づかれてから

本腰を入れて取り組みだされたそう。

 

 


ちなみに習い事をする時

目上の女性を 先生 にする場合

気をつけておいた方が良いことがある。

 

特に先生が既婚者の場合、

旦那さんと健やかなパートナーシップが築けていない人は

先生には選ばないほうが良い。

というのが私の経験からの知恵。

 

こういう人、生徒さんで自分の満たされない心を埋めようとするから

あとあと色々と厄介なんだよ。

承認欲求凄いから。

 

先生が既婚でも独身の場合でも

女 を売りにしている人は、止めておいたほうが良い。

男の人を前にすると、態度が変わる人ね。

これ、本人気づいてない。

 

こういう人は、

自分の中の 性 が成熟していないから

自分より魅力的な女に嫉妬するか

支配しようとするから。

 

上記を簡潔にまとめると

ある程度の年齢になっていても

佇まいが美しくない人は 選ばないほうが良い。

 

つまり

自分を本当の意味で大切にしてきていない人は

先生に選んではいけない。

これが私の渡世の知恵。

 


 

話を戻し。

 

最初の茶道のお稽古で、

92歳のおばあちゃまがいらっしゃると伺った。

私のスーパーおばあちゃんと、同い年だ。

 

その方は、

もうお点前はされないのだけど(立ったり座ったりするから)

若い方と一緒に学ぶ時間が楽しいそうで、

お茶の時間を楽しみにお越しになっているそうだ。

 

いつかお会いできるといいな。

と思っていたのだけど

意外とすぐに お会いすることが出来た。

 

 

お顔には、細かいおシワが沢山刻まれている。

 

でも、そのおシワは、

人生に対する不平不満からくるおシワではなく

和顔のおシワ 

笑顔のおシワなのだ。

 

なんだか、ご挨拶をしただけなのに

涙が出てきてしまった。

 

 

・・・・・

こういうおシワの刻まれ方・・・

誰かに似ているな。。。。

 

 

 

あ。

 

 

 

 

川の神様だ。

 

 

 

 

 

 

 

歯は、自前のお綺麗な歯。

自前の歯が頑丈な方って、元気に長生きする傾向がある。

 

髪の毛は、もちろん薄くなられているのだけど

でも、キチンと切りそろえられていて

ふわっと、きちんとセットされている。

 

きっと、長年通われている

セットも上手い熟年の美容師さんなのだろう。

 

手も、シワシワだけど

お爪は綺麗に切りそろえられていて

丁寧に洗ってある、清潔なお手。

 

お洋服も、ご自身の身体に合うものを

きちんとお召になっている。

 

おばあちゃまの存在が

無言で私に教えてくれる。

 

このおばあちゃまの(尊敬と敬意を払い、この呼び方を)

時代背景を考えると

女性は今と違って

もっと閉鎖的で

好きなことが出来ない、、

私達からみると、我慢が当たり前の時代だ。

 

戦争もご経験されているだろう。

 

終戦後

一夜にして常識がひっくり返り

高度経済成長に入り

日本がどんどん変わっていくのも

全部見てきた方だろう。

 

それでも、笑顔のおシワがしっかり刻まれている。

 

おばあちゃまの精神性が、全て外見に滲み出ている。

 

私は

理由のわからない涙を堪えるのが大変だった。

美しいって、こういうことよね。。。と思いながら。

 

 

涙の理由を

しばらくぼんやり考えていた。

 

尊い。

 

ある日、このワードが降りてきた。

 

まさに

とても尊いものに触れた時

人間は理由のわからない涙が出るものだ。

 

意識が広がり

優しい気持ちになる。

 

そして、

 

ここに居れることに

出会いに

自然と感謝の気持ちが湧いてくる。

 

そうだそうだ。

 

美の力って、

こうだったよな。

 

 

茶道は空間もお道具も

全てが研ぎ澄まされていて

緩みがなく、美しい。

 

先生も、いつも髪の毛を綺麗にセットされて

品のいい仕立てられたお着物を御召になっている

 

和菓子も美しくて、本当に美味しい。

 

全てが美しくて、温かい。

 

美しい空間で

美しい人たちと居ると

自分を思い出す。

 

自分の大いなる源と

しっかり繋がる感じがするのだ。

 

そうだそうだ。

だから私は美しいが好きだったんだ。

 

だから私は、

昔から目上の女性に憧れていたんだった。

(目上だからといって、全員が全員美しいわけではないが。)

 

自分の源としっかり繋がり、

色々な記憶が蘇る。

 

私が居たい場所は、やはり美しい場所だ。

美しくないものは、嫌いなんだ。

 

思えば小学生の頃から

皆と仲良くしなさい。

と先生たちに言われるのが、一番嫌いだった私。

 

自分が仲良くする人くらい、

自分で選びたい。

 

それに私は、馴れ馴れしい人

向上心がない人が大嫌いだ。

これは今も変わらない。

 

なぜ、こんなにも嫌うのか?

私はとても影響を受けやすい人間だ。

 

だから、環境や一緒に居る人に物凄く影響を受けてしまう。

 

初見で違和感を持った人でも

『でも、良いところはるかもしれない』と、

自分の直感を無視して、空気を乱さにようにして

自分に我慢させるのだ。

 

器用に立ち回れる人なら良いが

これが出来ない人も居る。

 

親は、そんな私の性格を知ってか知らずか

皆と仲良くする必要はない。

そんなことをしてたら、八方美人になるだけだ。

親友は一人居れば十分。

ただし、嫌いな人にでも挨拶はちゃんとしなさい。

 

と、いつも言ってくれていた。

私はこの教えに、とても救われたものだ。

 

 

 

付き合う人は選んでいいし

好き嫌いもあっていい。

 

ただし

自分で選ぶということは

自分で責任を取る。ということ。

自分を信じるということだ。

 

私は弱くもないが、強くもない。

 

強くないから、美しくない人と一緒に居たら

自分で責任が取れない。

取れない自分に言い訳をしてしまい

心が荒み

色々と周りにご迷惑をかけてしまう。

 

 

だから私は

もう本当に、美しくないものは

自分の世界に入れず

 

自分の心地よさは

自分でしっかり責任を持って

丁寧に選んでいこうと 決断 した日となりました。

 

だって

私は、あんなおばあちゃまみたいな

美しい人間になりたいもん。

 

人間としての大きい器なんて要らないから

自分のことは、自分でしっかり責任を取る人間で居たい。と思う。

 

人間としての器は、

あとから付いてくるものだと思うしね。

 

小夜子さんは

主張もされないし

控えめな方だった。と言われるけど

 

芯がある、

本当の意味でお強い方だったのだと

私は思う。