Column  


↑この美しさに、説明がいるだろうか?




私は写真だけで、泣いてしまった。




究極の美。










お客様には話しているのですが、




私はやっぱり、もう美容ではないんです。







美容の記事を書こうにも、全く手が進まない。







会員様は2020年まで約束をしているし、もう気心も知れているので




お客様の人生の 一部 として、Treatmentを施すことは楽しい。




それは、Treatmentをしている。のではなく、コミュニケーションを取っているから。というほうが、私にはしっくりくる。







だけども、もう新規さまへのTreatmentは、身体がときめかないのだ。




今後新規さまのトリートメントは、画材とかが欲しくなったときに、お小遣い稼ぎで、単発でやるかもしれません。笑




もうメインでは、やらない。。。。というか、出来ない。







迷ったときは、美意識で決める私にとって、




美は神であり、美こそ全て。




そんな私は




もう美容という小さい枠に、人間の本質的な美を見いだせなくなってしまった。。。。




だから美容への謙虚さがなくなってしまった。




私は仕事への謙虚さがなくなった時が、引き時だと思うのです。







もう、本当に本当に




エステティックや美容をメインでは出来ない。




身体が動かないんだもん。










今は、毎日の暮らし




いかに心豊かに暮らしていくか?いかに満たしていくか?




ということが、楽しくて仕方がない。







サロンを大きく模様替えしてからというもの




お客様以外にも、来客が増えた。







私も、お料理を再開したので、タイミングが合うお客様には




頼まれてもいないのに、勝手に食べさせている。笑







そうすると、おもてなしの腕、、、感性が上がっていく。




私は 自分のその感性が磨かれていくのが、今は楽しくて仕方がない。







盛り付けも、味も、全て自分の 好き・心地よさ だけが頼り。




だから美意識が磨かれていくのだ。







世間ではお料理は提供するもの、とか




やらなければいけないもの。。。みたいな認識があるような気がするが




私の場合は、もともと感性を磨く一貫でお料理はしていたし




今 私が楽しんでやっていることを、よかったら一緒に楽しんでくださいませんか?




という感覚なので、お料理が上手い!とか




凄い!とか、褒められたいわけじゃない。







ただ、私が好きでやっているので、シェアさせてください。




という純粋な想いだ。




あと、私にとって一番美味しい料理って、やっぱり自分で作ったものだし。。







料理ほど、他人軸でやりだしたらしんどいものはないだろう。







・・・・・




だからいつ飽きるかわからないのだけれども。。。笑







『大丈夫、他のお客様もそのへんはもうおわかりだと思うわよ。』




と、先日あるお客様に言われたし。😂










こうやって、毎日の暮らしを豊かに心地よいものにしていくことを、真剣にしていると




禅の教えって、日々の中にあるのだなぁ・・・・と




体解していく。







体解とは、自分の体験を持って理解する、『腑に落ちる』ということ。




禅の教えでは、この体解を重視する。







こうやって拡散されるのは、禅師の本望ではないのと思うのですが。。。
私は携帯の待ち受けにしています。




こんな崩壊したときに、祈って何の意味があるのか?




と、思う人はいるだろうか?







自分を見失い、承認欲求、ステータスを基準に仕事に追われながら生き




心が殺伐としていた昔の私は、思っていたかも知れない。










だけど




自分を取り戻し




本当の豊かさを思い出した今は、




祈りは力




だと、私は言い切る。







写真だけもわかりませんか?このエネルギー。




美=神、、、八百万の神がいる。







どこかのColumnで




椎名林檎さんが 三毒史 というアルバムの




鶏と豚と蛇 という曲を聴いて




三毒にまみれた現代人には、結界を張ったり、心身を浄化してくれる般若心経さえも通用しなくなってしまった。というメッセージを感じた。




と、私は書いていたのだけれども、




殺伐とした過去の私は、まさにそうだったと思う。










祈りは全て。。。




こう思える自分に戻れて、本当に良かった。
















世間の安っぽい 美しさ の定義を変えていきたい。と私は思う。







正確には、安っぽいとか偽物とかも、全ては私の観念であり




本来、美というものは、定義できない曖昧なものなのだ。だから美とは豊かさでもあると思う。




そんな自由な美を定義する、ということ自体が




美への冒涜だと思っている。










だけど、




悲しくもないのに




思考が働く前に涙が出てしまう時。。。







だれしもこの瞬間を経験したことは、あるのではないのだろうか?







人は 本当に美しいものを観てしまった時




言葉なんて出ないのだ。







ただ、魂からの涙が出るだけ。







私は




神=美=生命力 に触れたとき、その現象が起きる。














ずっと模索していた未来が、少しずつ形を見せてきてくれている。










ZEN×BEAUTY










やっぱり人生の流れは、完璧だ。