Column  


仏教には、【五観の偈】という教えがあります。




五観の偈




  1. この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします。
  2. 自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうか反省します。
  3. 心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、など三つの過ちを持たないことを誓います。
  4. 食とは良薬なのであり、身体をやしない、正しい健康を得るために頂くのです。
  5. 今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。



宗派によって表現に若干の異なりがあるため、ここではウィキペディア>>から参照しています。




付け加えると、3の三つの過ち= 貪り、怒り、妬み⇒【三毒】です。




※仏教や神道を、カルト系や商売の宗教と同じだ思っている人は、もっとお勉強なさった方が良いですね。その見識はとても恥ずかしいことですから。




神道や仏教は、在り方、生き方のヒントを説いてくれているものです。







私のご先祖様は、仏師、大工、そして父は宮大工だったので、




私は昔から仏様や寺などが、あって当たり前の生活でした。




祖母が毎朝 仏壇の前でムニャムニャ唱えていた呪文(あれは懺悔文と、般若心経だったと今わかるようになりました。)のようなものが、何だかカッコよく感じていたものです。




ご先祖様手彫りの、実家の仏壇。




私は美容を通して、人間とは何か?ということをずっと探求してきました。




なんで?と言われても、理由はわかりませんでしたが。







独学で学んだって、たかだか知れているので、




人間学の先生について、色々学ばせて頂きましたが、やっぱり皆さんが共通して仰る教えは、仏教なのです。







でも、仏教の教えってなんか説教くさいし、ただの綺麗事だと思っていました。







現に、その教えに縛られて苦しんでいる人が沢山いる。







例えば、利他の精神。とかね。







人の為に出来ない自分は駄目




人の為にやらなければいけない




人のことを悪く思ってはいけない




社会に貢献しなければならない。




凄い人にならなければならない。




・・・・




それが出来ない自分は駄目なんだ。




となり、自分責めに入る。







ま、自分や他人を責めてる方が楽だからね。




本当に達観している人は、自分も他人も責めないし。







これは、仏教の教えが正しく伝わっていない。。。。。というよりも




受け取り側の感性が、まだまだ育っていない、成熟されていないから、正しく理解できていない。




ということだと、私はここ最近で 体解することが出来るようになりました。







仏教の教えを、頭で理解しようとしている時点で間違いであって




仏教の教え、、というよりも、




真理は体験することでしか本当に理解することは出来ない。




仏教って本当に真理だなぁ・・・と約三千年の教えに感動しています。







どのようにして わかる ようになったかは、下記をご参照ください。




頭だけ良くなって、自分を見失っている人には、読みづらいし理解できないと思うけど。
わかろうとしなくていいので
文脈や間、全体から感じてください。







真理は日常、、、足元にあった。







そこからまた、仏教を 今度は実践しているのですが




もうぐんぐん入ってくる。







五観の偈 なんてまさにそうで、最初に五観の偈を知ったときは、




なんやようわからんけど、ご飯に感謝しなさいってことね!




ぐらいのレベルでしか理解していなかった。







だけど今は、




五、今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。




にいたく感銘を受けているのです。







私は




五、仏の教えを成し遂げるために、この食事をいただこう。




と教わり、そう理解しています。




仏=魂=神様=ハイスピリット=パワーセルフ=宇宙=真我




など、色々な表現方法があるので、自分がしっくりくるもので良いのですが。







そう言えば昔、ホステスやってた頃に、




ある会社の会長に




食(金)のために働く(命を遣う)な。働く(命を遣う)ために食(金)べるのだ。




ってことを教わったなぁ・・・と。この方、食をとても大切にされていた。やっぱり仏教学んでいらしたのかな?もちろん今もご活躍されています。










私は、




神様=自分自神と繋がっている人




が好きで、そういう人を美しい人だと言っています。







もっとわかりやすく言うと、




自分の命を生きている人。




生命力むき出しで生きている人。




を、本能的に美しい人だと感じます。







多くの人が、他人の批判や評価がこわいから、自分を護って生き、自分を見失っているものだ。







他人と比べ、自分を見失い、いつしか自信を失い




自信を取り戻すためにと思って身につけたもので、自分を苦しめている。




また




過去の栄光にいつまでも縋り、残された自信に執着するがゆえ




いびつな形になっていることに、気づかずにいる人も、とても多い。




(私もそういう時代があったけど、本物の師匠とゴッドマザーに出会えて本来の自分を思い出している最中。)







私、、、美容って




そういう人に加担している気がして、ならないのです。




浅いというか・・・







もちろん、本来の美容はそういうものでは無いのだけど。。。




だから独立してからは、世の中の美容、、私の場合はエステティックへの偏見と戦ってきたのだけど。







・・・・・・




なんかその生き方って、エネルギーを消耗しているということに気づいた。







正義が生まれれば、悪が生まれる。




正義なんてものは、この世に要らないのだ。














私はただ、




人の美しさや魅力を引き出すお手伝いをすることで、自分の善いエネルギーが循環しだす。




自分もやっていて楽しいし、相手も歓んでくださる。。。だからこれが私の天職だと思っている。




トリートメントは、あくまでもその手段なだけで、人の美しさや魅力を引き出すお手伝いができ、美しいものなら何だって良くて




トリートメントのため、エステティックのため、美容のために生きているのではない。







気づかないうちに、目的を忘れ




美容という手段にしがみついていたから




自分が苦しくなっていたのだ。と気づく。







自分はこれしか出来ないんだから・・・と呪文をかけてね。










今までは、外見から人の魅力や美しさを引き出す手段でよかったが




時代は変わり




この情報濁流の時代、




脳過多で、自分を見失っている人があふれる時代。







量産型の可愛い、綺麗、カッコいいばかりで




平均的に容姿はキレイな人は増え、すごいブスは居なくなったけど、




生命力が皮膚を突き破って、内側から輝いて生きている人を昔ほど見なくなった。




言い方を変えると、佇まいがくすんでいる人が増えた。ということだけど。







もう外側からだけのアプローチでは、自分の天命を全うすることは不可能。




自分の限界を認めた。










だから、私は手段を変えたのです。








人間は、陰から出来ている。




デッサンは、陰で描く。


















貴女の人生が、一冊の物語になるとしたらどうだろう?







モデルはもちろん、貴女自身。










私とのコミュニケーションは、ノンバーバル。










キャンバスには色はなく




白と黒・・・光と影だけの表現方法。







色々な時代の貴女が、そこにいる。







こんなに人に観られることが、今まであっただろうか?




と、最初は怖いかもしれない。







でもいつしかその視線は、




自分の人生の主役は、自分だった。ということ




忘れていた自分を




言葉を超えて




魂が思い出すことになる。










面倒くさい女ほど、




感じない女ほど




自分を見失っている女ほど




他人からの言葉を欲しがる。







自分を正当化するために。










腹の底で思っていることと、




口から言っている言葉が、一致している人なんて、そう多くは居ないのに。







言葉はいつも、嘘をはらんでいるものだ。




自分で自分を、本当にわかっていない人が多いがゆえ、本人も気づいていないし、悪意なんてほとんどの人にはないのだけど。







言葉には、限界がある。











陰極まって陽となる。







そろそろ




本気で感じてみないか?




自分を。

















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